ここのところじっとりと蒸し暑い日がつづいていたけれど
昨日と今日は、今にも雨が降りそうな分厚い雲がかかり、そのおかげで気温はすこし低かった。
父さんと母さんと都内で待ち合わせて、兄のお墓参りに行った。下の兄は仕事で来られなかった。
急な雨を心配して父さんは杖の代わりに傘をついてきた。
掃除をしているときや、お花をあげているときは平気なのに、いざお線香をつけて、お墓の前にしゃがんで手をあわせた瞬間に涙が流れてくるから、不思議だな、と思う。
かつての、絶望や一筋の光も見えない真っ暗闇の中で流した、しゃくりあげ、叫び続けるような、とめどない涙とは違う。
今、私が兄のために流すのは、胸の中にいつもある、大切な場所に静かに降りていく涙。
そこに降りると、お兄ちゃんが私の中に確かにいて、一緒に呼吸しているのを感じるから、ずっと静かに手を合わせていたいとも思う。
でも私があんまり長くそうして涙を流していると、両親がまだ私が痛みの中で苦しんでいるんじゃないかと心配するから、わたしは心の中で
「また来るね」
と兄に伝えて目を開ける。
父さんは、お兄ちゃんのお墓を抱きしめるみたいに
「全部しょったんか。全部しょったんか。」(背負ったんか)
「あっちでゆっくりしゃべろうな」
とお墓に口をよせて語りかけてた。
それから涙ぐんている目はそのままなのに、急にシャキッと背を伸ばして、声色を変えて、しっかり私たちに聴かせるように
「こんなん自己満足よ。自分に言ってるんよ。」
と宣言していた。
私は冗談めかして父さんに、
「向こうに行ったら、なんでもいいからサイン送ってよ」
って言おうとしたけど、やめておいた。
父さんもきっと今は、本当に大切なところにつながっているから。
また今度ゆっくり頼もう。

母さんに
「祈った?」
と聞くと、
「うん。〇〇と話したよ。」
と答える。
兄とどんな話をしたのか聴こうかな、と思ったけど、きっと母さんにとっても大切なことのような気がして、
「そう」
とだけ言った。
お墓で話す言葉は、みんな、いつもと少し違う。
お墓参りを終えたら、ちょうど雲が切れて、日が差してきた。
雨にもあたらず、暑さにもやられる前にお墓参りができてよかったね、と言いあいながら、帰りはネットでみつけたペルー料理の店でご飯をたべた。
ペルーは兄にとっては人生を変えた、大きな大きな意味を持つ土地だった。
「こんな料理を食べていたのかな」
「いやいや貧乏旅行だったから、きっとこんないいご飯はたべてないね」
他愛もない会話に、兄への思いが自然に混ざる。
あれから23年の月日が流れた。
今日、母さんが初めて教えてくれた話がある。
兄が南米を旅している頃、母さんが寝ていると、
「母さん!!」
と必死の声がした。
「夢じゃないの。本当に〇〇の声がしたのよ、はっきり聞こえたの」
その頃、兄がバックパック旅行にいってしまうと、数か月音信不通で、どこに泊まっているのかもわからなかった。
でも母さんは、その声に胸騒ぎがして、ペルーのガイドブック(たぶん地球の歩き方)を買って、あてずっぽうで後ろの方に書いてある宿に国際電話をかけたら、兄が泊まっていた安宿にかかった。
ちょうど外出していて兄と話すことはできなかったけれど、兄が少なくとも生きていることが分かって安心したんだって言ってた。
兄は日本に帰ってから、ペルーで死にかけた(もしかしたらアヤワスカでの【自我の死】のことかもしれない)って言ってたから、その時、兄は母さんのことを必死で呼んだのかもしれない。
兄の声の話を母さんから聴いた時、きっと兄が命の最期に思ったのも、母さんのことだろうな、と思った。
お兄ちゃんはずっと、母さんの子ども。
そう思うとまた泣けてくる。
180㎝もあった体の大きなお兄ちゃんの中に、小さい〇〇くんが、きっと最期まで生きていたんだろうと思う。
以前書いたけど、お兄ちゃんが亡くなった日、その時間にゲリラ豪雨がすごい勢いで降り出して、わたしは思わず天井をを見上げた。
あとで死亡推定時刻を聞いて、あぁ、その時間、私は上を見たんだって思った。
強い思いも、存在もきっと時空を超えるんだろう。
今日はなおさら、お兄ちゃんを強く感じてる。
2026年7月27日



