本当のことを表現するには、世界をゆるぎなく信頼することが必要だ

【感じていることをそのまま表現して大丈夫】

そう思えるようになるまで、どれくらいの時間が必要なのだろう。

今でもまだ、内側にあることをそのまま表現してしまっては、誰かを傷つけたり、傷つけられたりすることへの怖れが立ち上がることがある。

 

すると私は、表現を調整し始める。

人を脅かさないように。

人を傷つけないように。

 

 

この世界に受け入れられるだろう、ちょうどいい塩梅を探っていく。

 

そして、すこしずつ、すこしずつ、わたしの内側の本当のことからは離れていく。

 

たくさん傷ついてきたからこそ

たくさん痛みをおったからこそ。

 

傷を負うことから自分自身を守ることが必要で、無意識に編み出したストラテジー(生存戦略)

 

 

けれど、自分自身の内側にある真実を隠せば、

自分自身への誠実さを失い、少しずつ自分自身の輪郭が曖昧になっていく。

 

人に囲まれ、表面的なつながりは得られるかもしれないけれど、魂が満ちる体験は得られない。

 

私が学ばなければいけなかったこと。学び続けていること。

人の数だけ、それぞれの世界がある。

 

その人が生きているということは、それぞれの世界をあらゆる方法で表しているということだ。

 

肉体の在り方で。声の響きで。まなざしで。聴き方で。

息を吸い、吐くことすら、その人がその人であることの、その瞬間の表現のように感じる。

 

本当に世界はカラフル。

 

生まれ方も、産声の響きも、ひとつとして同じものがないように。

そしてどの響きもすべて、美しく力強い、命の響きであるように。

 

それぞれの表現が、本当に、あぁ本当にあるようにあっていいんだと、降参する体験を積み重ねることが必要だった。

(だからきっと助産師に、ブレスワークに導かれたんだ)

 

 

かつて、

もう傷つきたくないんだ。もう痛みを負いたくないんだと、どれだけ心を覆ってきただろう。

どれだけ鎧を着こんだだろう。

 

だけどもう十分だ。

私は私の意志で、その鎧を脱ごう。

私は私の意志で、その覆いを剥ごう。

 

無防備で、やわらかく、幼なさを残した心を この世界に開いていきていきたい。

 

私の内側には、こんな世界があるの。

私が体験している世界は、こんな世界なの。

 

余すことなく、表現していきたい。

そして、あなたの内側に広がる世界を、分かち合ってほしい。

 

本当につながるために必要なのは、分かち合い、理解し合うことだけ。

 

表面的な合意や同意は必要ないのだと、骨の髄まで味わって納得したいんだ。

 

ただ分かち合い、聴きあうことだけ。

解ろうとすれば、きっと奥深くで響きあえる。

 

私はかつて、この世界に産声をあげた。

それは、私の意志だ。

 

私が生きる、この世界への信頼。

私が持って生まれた命の意志を叶えるために、

無条件の愛の中に、愛が聴こえるまで愛を聴き

愛に還れるまで、愛を叫ぼう。