【死と再生のものがたり】
先日体験したあるリトリートで、生前葬という形で自分の死を体験してきた。
死ぬ前に遺書を書き、この人生で出逢った大切な人たちのことを思った。
日常の中ではイライラしたり、煩わしく思ったりする人たちに対して、遺書を前に永遠の別れを意識すると、そこには愛おしさとやさしさ、感謝だけが残る。
大きな影響を受けたにも関わらずつながりなおせていない人には、その残念さや、死ぬ前の手紙だと思えば伝えられる素直な思いを綴る。
命に別れを告げ、自分の写真を白く塗りつぶして棺の中に身を横たえる。
悼みの言葉を聴き、花が手向けられ、いよいよ棺の蓋がしめられたその時、私の奥底からとめどなく涙が溢れてきた。
私はかつてこの世界に確かに存在していた。
確かに愛され、大切にされ、気にかけてもらっていた。
沢山の人と関わり合い、世界からみれば波紋のような小さいかもしれないけれど、けれど確かに影響しあいながらこの世界で生きていた。
今 私がこの世界からいなくなっても、世界は同じように回っているけれど、けれど決して同じではなく、私の不在に涙を流す人たちが確かにいる。
兄がなくなって20年たってもなお、私が彼の死と生を思い続けているように、私が死んだあとも、私のことを心に生かし続ける人たちがいるだろう。
それを思い、申し訳なさと、有難さと、安心感とが混ざったような、味わったことのない涙が溢れてくる。
【再びうまれる】
涙をぬぐい、再び自分の意志で棺の蓋を開けた時、世界はそのままにそこにあった。
あぁ、私は何を成す必要もなく、ただ私として、内なる響きに耳を傾けつづけ、それをこの世界で遠慮なく表現していればいい。
その安堵が深く身を包んだ。
それは世界にとっては小さな小さな波紋かもしれない。
けれど私たちはそんな風に、お互いに影響しあい、ありのままの命でお互いを受け入れあう世界を広げていくことができる。
【内なる響きに耳を傾ける】
正直に言うと、時々自分が語る言葉が「きれいごと」のように感じられることがある。
「私は本当にそんな世界を生きている?」
「私は本当に私の命の願いに忠実に、命に叶う生き方をしている?」
心が弱くなっているときには、愛だの調和だの語る自分自身が、その理想にふさわしい存在なのか、白々しく思えてしまう時がある。
それでも私は信じたい。
ありたい私の姿と現実の姿の間で揺れ動くことがある、その迷いすら、私のやさしさであり人間らしさだと。
I’m On my journey to heal。
私はまだ旅の途中。
命を癒し、悲しみも不安も恐れも痛みもある、ありのままの自分の声を聴き、今日もこの世界で私を生きていく。
次回ブレスワークセッション
2024 年11月25日 上野 浅草 13時~17時30分 Journey to Heal
2024年12月21日 online講座&セッション 変性意識と癒しの旅
2025年1月4-5日 湯河原ご縁の杜 ブレスワークリトリート