
竹内正人先生と板垣文恵さんが開く場に参加してきた。
西日本を中心に、あちこちから助産師たちが集まり、(産科の先生も!)
変わりゆく日本の社会の中で、これからも残し続けたいお産の景色や、
そのために何ができるのか、
一人一人の内側にあった漠然とした情熱やエネルギーに、言葉を与え
その言葉からまた、新たな言葉が生まれていくような時間だった。
それはお産だけの話にとどまらない。
いのちへのまなざし。
いのちの手触り。
抽象度が高く、とても感覚的な、けれどたしかにわたしたちの身体に根付く、命のことば。
助産師たちはことばをもつ。
そう思った。

そして、きっとその言葉は、助産師だけのものではなく、命を生きるすべての人が、根源ではおなじ感覚を持っているんじゃないかとも思った。
目に見える世界と目に見えない世界をこの手でつなぐ、ことば。
五感でとらえ、目に見えない、流れる空気すらも敏感に感じながら、
お産に立ち会う、お産の一部となるあの感覚が、私たち助産師の身体の中にはある。
決してモニター上の数字や、エビデンスだけでは捉えきれないもの。
場面だけを切り取るのではない、連続した命の流れの中で見守りたいという願い。
場の一部でありながら、揺れ動く自分自身のエゴも確かに感じている。
祈り、信頼、怖さ、強さと弱さ、敏感さ、限りない喜びや痛み、畏怖
俯瞰的に見ながらも、子宮のような場の中で、大きくなったり小さくなったりする自分。
プロセスすら理路整然としていて、最短距離で最大の結果を出す、効率性が重視される社会の中では、命の自然性を表そうとする言葉は、曖昧としていて、不確実で、理解されがたいのかもしれない。
時代遅れだと言われることもあるかもしれない。
抽象的で感覚的、ひとつとしてまったく同じものがない、いのちの始まりの時間。
その混沌とした世界に言葉をあたえながら
あぁ、あるよね、感じているよね、いのちってそうだよね、いきるってそういうことだよね、と
それを残したいんだよね、
同じ感覚を共有しあい、自分たちのことばにエンパワーされていく。
ひとりひとりの内側からの声の響きが、さらなる声を生み、頷きあい、場ごと力づけられていく。
命の網目のなかで、守り守られ、支え合い、ここに命があるという感覚。
今、こうして書いていても、漠然としていて、捉えどころがなくて、書いては消し、書いては消し、途方に暮れている。
なのに伝えたい、表現したい、その片鱗だけでも捕まえたい、あの場に流れていたもの。
そのままに漠然としたものを、漠然としたままに、結論を導かずここに置いてみることにしよう。
竹内先生、文恵さん、あの場でご一緒したbirthkeeperの皆さん、内側にある願いを豊かに感じあう時間をありがとうございました。

2026年 4月23日ブレスワークガイド/助産師もりたもえ



