45歳 魂の宣言

ここのところ、ずっと不本意だった、私が引き起こすことがある影響力や圧について考えてる。

みぃちゃんのライフパーパスコーチングを24日に受けて、とても印象に残っているのは、鶴の恩返しの話。

 

みぃちゃんが血を流しながら、自分の羽をぬいて、目の前の命の癒しのために、突き動かされていたこと。

 

そして今、私が感じているのは、「私は血を流したくないんだ」ということ。

自分の羽を抜かなくていい、安全な場所から、人にかかわっているのだということ。

 

マザーテレサやキング牧師やガンジーだって、血を流していたのではないだろうか。

 

世界に影響するということは、圧になり、人々の反応を引き起こすということだ。

 

それはとてつもなく怖いはずなのだけれど、その奥にある真実を信じぬいていたからこそ、意志の力で怖れを超えて、立ち続けた。

羽を抜く覚悟があった。

 

それがパワーを使うということで、その人の光を唯一無二のものにしているのだと思った。

自分の血が流れたとしても、それでも命を信じる。

 

力を持つものとして、その力を人のために使っているということ。

自分のエゴのためじゃなくて、他の者の命の輝きのために使っているということ。

 

私が、その時々で、自分の圧が怖かったり、嬉しかったりするのは、立っている場所、起点が根本的に違うと、やっと気づいた。

 

わたしは私が気持ちよくなるためにやっていたんだと思った。(自覚はなかったけど)

 

目の前の命のために使っているパワーじゃなかった。

目の前の命に向き合ってます風。

でも実際はエゴのため。

 

それは、みいちゃんが教えてくれた、自己愛じゃない。

 

自己愛はもっとゆるぎない愛だ。

目の前の命を信じるという意志をもった自分自身を信じる愛だ。

 

パワーを使えば、影響する。反応をおこす。

それは当たり前じゃないか。

 

影響したいのなら。

世界を揺り動かしたいのなら、自分の圧が不本意とか言ってる場合じゃないじゃないか。

 

それが、ポジティブな(すごい!とか素晴らしかった!とか)影響だったら嬉しくて、なんか嫌なものを刺激されたとか、何これ?とかだとしっぽ巻いてにげたくなったり、心地よいところに何となく着地させときたくなる。

 

私が私の圧に苦しくなるのは、パワーを使う起点が、自分の価値を世界に認めてほしいという、つまり自分のためでしかないからだ。

 

人を受け取れば、影響は起こる。人に話せば影響は起こる。

人と関わるということは、

人に関わりたいということはそういうことじゃないか。

 

つながりたいとはそういうことじゃないか。

 

そのすべての影響を、受けて立つこと。

 

そして、自分のためじゃなくて、目の前の命の輝きのために、本当に私が信じることを表現する意志。

人と分離している場合じゃない。

 

それがたとえ、今この瞬間の快につながらなかったとしても。

 

その不快は、わたしが、

目の前の命が、より深いエネルギーを感じるためのドアとなる。

 

みいちゃんは、今でも血を流している様に見えるときがある。

わざと反応をおこして、気づきなよ!ってやってる。

 

それはみいちゃんだって、痛いはずなんだ。だけど目の前のその人の命のためにやってる。

 

そして、その時、みいちゃんも、ともに血を流す覚悟があるのだと思う。

 

ちゃんと私を生きよう。

覚悟を決めよう。

 

自分の癒しはもう十分にした。

 

自分が安全な場所にいるのではなくて、そこから出て、自分のパワーを人のために使う時だ。

 

自分が好きなものだけを取り揃えた、美しくて、きれいで、深い、安全な世界にとどまってる場合じゃない。

 

形はわからない。

土星のエネルギーの使い方は、超未知。

 

使ったことがないから。

 

でも

わたしの潜在的な見えないエネルギー、隠してきた力なら、きっと再会することもできるはず。

 

私が私をあきらめたら、そこでおしまいだ。

 

泥臭く、やってみよう。たぶん。

心地よくある方が楽だけど。

なぁなぁ、そこそこで生きることもできるはずだけど。

 

多分それじゃない。

私がほしいのは、それじゃない。

 

父さんは、土星なんだろうな。私はそれを抑圧した。

 

父さんの力を、受け継いで、使うことができるはず。

怒りから支配するパワーではなく、愛を起点に幸せを信じる力へと変化させることができるはず。

 

世代を超えて自由になろう。

 

 

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