さぁ、沖縄3日目。
~WANANGAへ~
そもそも沖縄に行くことになったのは、
このWANANGAに行くためだった。
大好きなふみえさんに誘われたとき、
いつものごとく、日程も、内容も見ずに、
「行きます」と即答していた。
(で、日程間違えたのは、前述の通りw)

なぎさちゃんも一日目に参加することになっていたので、
朝なぎさちゃんの車に乗り込み、
豊かな会話をしながら、北の方へと向かう。
(お互いが考えていること、大切にしたいこと、これからのこと、祈りについて)
会場の今帰仁は、
緑豊かな高台から海が見渡せる。
開けた場所に大好きなひとたちが集まっている。


ふみえさんと再会を喜びすりすり。
りえちゃんと肉体を持って逢える喜びにすりすり。
沢山の助産師さん、ドゥーラさん、お母さん、赤ちゃん。
パシフィックマザープロデューサーのみぎわさん。
そしてマオリの助産師リサ。

サークルが始まると、リサは
「ここは私の土地ではないから、
まずは、この土地の人に挨拶をしてほしい」
と。
その言葉にやんばるの熱い助産師えりちゃん(このあとマブダチになる(笑))が挨拶。
続いてリサが、この土地に招いてくれた、
神々と自然、そして人々に感謝を伝える。
wanangaとは
みんなで知恵を持ち寄り、共に学ぶ場。

りさは、会の中、
マオリに伝わる神々への祈り、命への敬意、
伝統的な手法を分かち合ってくれた。
それももちろん、心を打ったのだけれど、
私が印象的だったのは、リサのBeing(あり方)だった。
言うならば、彼女は「マオリとして目覚めた人」。
生まれてからずっとマオリとして生きていたわけではない。
彼女は30代で(と言っていたと思う)
目覚めの時がきて、マオリとしての生き方を歩む意志をもち
マオリのための助産師として生きることを選ぶ。
学びなおした伝統を、祖母に伝え
祖母がマオリとしてのIdentityを思い出し、
母が思い出していく。
今、彼女の子供たちはマオリの学校に行き、
マオリとして生きている。
マオリの尊厳を取り戻すのに、
3世代かかったのだと。
彼女の口から語られる歩み、長い歴史、その強い信念を叶えたゆるぎない力が、
沖縄の女性たちの心に深く響いているのが感じ取れた。
夜、ご飯のあと、みんなでおしゃべりしているとき。

わたしと、やんばる助産師えりちゃんと精麻のりえちゃんとリサが、
一緒のテーブルで話していた。
なんとなく私が間に入り、
中学生レベルの英語を必死に使いながら、
沖縄の助産師や母の思いをリサに伝える。
どうやってそれをやれたのか。
どうしてそう強くあれるのか。
エビデンスベースの医療の現場で
責められたり、疎まれたり、
さげすまれたりすることはなかったのか。
対話がすすんでくるにつれ、
リサの目に火が灯り、
えりちゃん、りえちゃんの秘めた熱さが灯される。
智慧をもった目の前のエルダーから、
受け取りたい情熱。
私たちにもできるかもしれない、という可能性、希望。
私は使えない英語をなんとか絞り出し、
時に日本語を日本語のまま伝える、
ポンコツな翻訳者の役割(けれど、なぜか伝わる)。
えりちゃん、りえちゃんの思いをリサに、
リサの思いを
私が持っている最大限の言葉を必死に駆使して二人に伝える。
マオリのリサ、
やんばるの助産師えりちゃん、
沖縄の母りえちゃん、
旅人のわたしのまわりに、不思議なカプセルのような空間ができているのを感じる。
痛みをもちながら、
どうすることもできない、という不甲斐なさにも似た悲しみが、
「できるかもしれない」
「この痛みをもっていていいんだ」
という涙や希望の笑顔に変わっていく。
純粋な涙と笑顔。
心からの抱擁。
目の前で起きていること、情熱が思い出されていく過程。
それを共に感じさせてもらえていることに震えている。

沖縄には痛みがある。深い痛みがある。
無知だった自分自身を恥じる。
取り戻さなければ、守らなければ、
永遠に失われてしまうという焦りのような痛みがある。
けれど、そこに何もできない、
ただ時間にまかせるしかないのか、という無力感。
テレビで見る遠い場所の話ではなかった。
私の大切な仲間の痛みだったのだ。
そしてまた、
目の前に強い意志と信念。
力をもったマオリの女性がいる。
彼女は、無理かもしれないということを
思いと現実の力で動かし、
今マオリとしてのアイデンティティをつないでいく、
伝えるものとしての母、エルダーとして生きている。
忘れられた智慧を、上の世代に思い出してもらい、
それをまた引き継いだ。
沖縄の女性たちの中に灯った、力強い命の光を見て、私もまた胸が熱くなる。




