痛みが教えてくれていること

昨日、朝起きた時からあった、左股関節の違和感。

はじめは無視できるくらいの小さなものだったのだけど、だんだんと強くなっていき、末っ子を保育園に送り届けた頃には、鋭い痛みに変化していた。

安静にしていれば、まったく痛みはないのだけど、体重をかけるたびに、何かの動きをするたびに「ピキッ」とした痛みが襲う。

旧暦新年、予定をすべてキャンセルして、ひたすら横になり、本をよんだり、詩を聞きながらぼーっとしたり、昨日は本当に何もできなかった。

今朝、起きてみて、そっと足を動かす。

ピキッは、相変わらずあるのだけれど、少しマシになっているのを感じてちょっとホッとしてる。そしてその痛みの奥を感じていたら、思い出してきた。

この痛み、知ってる

過去の痛みと今の痛み

 

長女を生んでしばらくして、助産師になることを決めた。

 

助産師になるには、まずは看護師の免許が必要だとわかったので、おっぱいをあげながら、長女が寝ている時などひたすら隙間時間に勉強して、看護学校の社会人枠を受験した。

何とか合格して、ほっと一息ついたとき私は頸椎ヘルニアになった。

軽い違和感が、ある朝鋭い痛みとなり、起き上がることもできなくなった。
1歳になって動きまわる長女を抱っこすることさえできない。


突然の断乳。

 

襲ってくる不安。

こんな痛みと共に、私は4年間もハードな学生生活を送ることができるのか?

小さい子を抱えて?

 

今考えてみれば、来る学生生活に対する不安は、ヘルニアになる前からあったんだ。

4年もかけて本当に助産師になれるのか。

 

その不安が首の痛みとともに顕在意識に上がってきた。すごくはっきりした形で。

看護学校に入るころも違和感や手のしびれが残っていて、最初の1年くらいは、頸椎カラーをつけて(むち打ちの人がつけてる首のギブスみたいなやつ)スーツケースをコロコロ転がして学校に通ってた。

結局3年間、首の痛みと共にいたのだけれど、助産学校に入った頃だろうか、いつの間にか消えていた。

働き始めてからは、自分が頸椎ヘルニアだったなんて、靄の中の出来事見たい。

だって痛みの本質は、本当に助産師になれるか漠然とあった不安だったけど、もう私は助産師で、日々の看護、助産についての学びにすっかりのめりこんでいたから。

もう15年以上前の話ですっかり忘れていたけれど、あの時の痛みと、今の痛み、多分質が一緒だわ。

 

人生の節目に現れる痛み

私は今、助産師としての働き方を大きく変えたばかり。
長年続けてきた「正規雇用」を手放し、病院で働く日数もずいぶん減らした。


「自分が本当にベストな状態で、関わる人に関わりたい。」

「家族や時間、呼吸、お産。私にとって、大切なことを心をこめて本当に大切にしたい。」


そのためには時間が必要で、バンジーを飛ぶような選択だったけれど、自分がした選択に後悔はない。

だけど、やっぱり、私、不安なんだなぁ。

見ないようにしてたけど。

 

「収入は確実に減る。でも、それでも本当に大丈夫?」

「守られた世界を飛び出して、本当に自分で生きたい世界を創り出していける?」

 

 


この「進みたい気持ち」と「恐れ」がぶつかるとき、体はいつも反応する。

 

今回の股関節の痛みはまるで

「自分自身が生きたい世界を本当に作り出せるのか、不安なんだね。」

「今、私の中でせめぎ合っているよ」

と教えてくれているみたい。

 

これから。痛みの先にあるもの

 

正直、まだわからない。

だってまだ痛いんだもん。どれくらいの期間痛いんだろって不安にもなる。

 

明日からの日勤までになんとかマシになってくれ、って祈りもわく。

 

だけど。

きれいごとを言いたいのではなくて、この痛み、必要だったんだろうな、学ばせてもらってるなぁとも思う。(不快だけどね。)

 

私は、サポートを求めたり、受け取るのがかなり苦手で、ケアしたり、応援したり、あるいは自分でチャッチャとやる側にいる方が心地がいいんだけど、

(だからお母さんで、助産師で、ブレスワークガイドなんだろうな。)

今は痛いから、自分できないことが多すぎて、サポートを求めざるを得ないし、受け取らせていただかざるを得ない。

(わかります?ここにすでに罪悪感があるの(笑))

今のポンコツな私、正直居心地悪すぎる(笑)けど。

 

しばらくこの、ポンコツさと一緒にいてみようと思います。

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