ブレスワークと助産、この二つは私の中で同じ線上にある。
それがどういうことなのか、もしかしてお産の話をしたら伝わるかもしれないな、と思って、私が見ている世界をシェアしようと思う。
陣痛 ~命を生みだす子宮の力~私の身体の記憶
頭で考え、行動で解決する。
18年前、1人目のお産は、そんな私の世界を確実にひっくり返してしまった。
陣痛が来てから、赤ちゃんが生れるまで初産婦で平均15.6時間。
最初小さかったその波は、時間の経過とともに大きく大きくなっていって、荒々しく私を飲み込んでいく。
やがて、身体がバラバラになっちゃうんじゃないか、腰が粉々に砕けてしまうんじゃないか、命がなくなってしまうんじゃないか、そんな風に言葉で思考することすらできない時がくる。
抵抗を手放し、ただ身体から沸き起こる波に委ねることしかできなくなる時。
その波に押され、身体の内側から信じられないほどの力が赤ちゃんを押し出し始めるとき。
思考や左脳の言葉は、命を生みだす時、何の意味も持たない。産む人はただエネルギーの塊になる。
穏やかにお産される方もいるけれど、私はいつも子宮口が全開するまでは獣の様。
力の限り叫んで、泣いて、髪を振り乱し、食べ、吐き、内側からのエネルギーを抑えることができない。
この野生のエネルギーで私が壊れるなら、壊れてしまえ!
3キロの命を生みだした私の命はまだそこにあって、私の身体は消えてなくならなかった。
身体で感じた命の根源。
出産は生易しいものではなく、全然綺麗なものでもなかった。
だけどその荒々しさや壮絶な痛みのエネルギーの中で私の命は深く癒され、この命がやっと地球に根を生やしたような、そんな感覚がある。
命は綺麗ごとじゃない。
私の様にお産で癒されることもあれば、ズタズタに傷つく体験をされる方もいる。
(もしそのような体験をされた方がいらっしゃったら、その体験をないことにしないで下さい)
命の営みだからこそ厳しく、妊娠や出産、産後の生活がいつも悦びに溢れることばかりじゃないことは、その後の助産師としての年月の中で嫌というほど思い知った。
けれど内的な痛みに自分自身を開いていくことで出逢える、癒しの可能性というのが、私たちの命にはあるんだと思う。
ブレスワークで、痛みや闇に向き合うときがある。
名前もないドロドロの感情が溢れてくることがある。
けれどそれを思いきり感じ、泣き、わめき、表現しきったとき、もう精魂尽き果て、へとへとなのに命が癒されていることがある。
そんな場面に立ち会うとき、私は、あぁ、呼吸はお産なんだなぁと思う。
次回ブレスワークセッションのお知らせ
1月12日(金) 浅草男性性女性性統合ブレスワーク
1月25日(木) 横浜ブレスワークセッション~私に還る~
2月24日 山梨ピラミッドセンタ―BIGLOVE GATHERING