今回の旅は、なぎさちゃんなしには語れない。
この旅は、目的にしていたWANANGAの日程を間違えていたところからはじまるのだけど
今回の旅のすべての場所と出逢いに、渚ちゃんの導きがあった。
(今考えれば、それもまた必然だった。間違えてなければ樋口先生にお会いすることもなかったし、
このあと語る久高島にも行ってない。)
なぎさちゃんとは2024年4月みぃちゃん(由佐美加子さん)の学びの場、ライフタペストリーで出逢った。
何つながりなの?と誰かからきかれるたびに、お互い顔を見合わせて困っていたけど、【お互いの痛みに立ち会った仲間】という表現が口から出た時ピンときて、以来ずっと使ってる。
なぎさちゃんは、【お互いの痛みに立ち会った仲間】
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久高島へ
樋口先生との衝撃的な出逢いの翌日、渚ちゃんが連れて行ってくれたのは、久高島。
島で自転車を借りて、シーズンオフで観光客が少ない島をめぐる。
感じる雰囲気と何となくの記憶で走る、感覚派のなぎさちゃん。
時折
「こっちじゃなかった!」
とUターンする渚ナビに付いていきながら、あっちの御嶽、こっちの拝所にご挨拶。

沖縄全体なのか、久高島が特別なのか、あちらとこちらをつなぐ小道がそこここにあることを感じる。
そこには目に見えない境界線があり、一歩足を踏み入れれば、神聖なものが語りかけてくる。
私が普段生活している横浜では感じられない、独特の土地の空気。
時には、
「ここはお前が立ち入る場ではない」
と耳から聞こえる音ではない、けれど確かに響く拒絶を感じる。
その時は、ただ手をあわせ侵害するつもりはないことをお伝えし、こちらの道に静かに戻る。
沖縄こそ神々の島、だと思った。
葉が語りかけてくる。
木々が呼びかけてくる。
うっそうとした自然が、私に絡みついてくる。
濃い緑、プラスチックみたいにつやつやな葉。
ごつごつの岩に根をはるたくましい木には、なぜあなたはそこを選んだの?と問いたくなる。

柔らかい土の土地も、
風がふかない温かな場所もあるだろうに。
けれどあなたの命はそこを選んだ。
そこで生きることを選んだんだ。
なぎさちゃんが、お神酒を供え、神様の前で舞う。
それは、言葉にはならない祈りだ。
その舞をみながら、わたしも祈る。
この身体をどうか使ってください。
大きな意志があるとしたら、わたしがそれを響きとり、表現することができますように。



