2025年は、場の力というものを深く感じた一年だった。
一人で行ける深みがある。
一方で、場だからこそ導かれる智慧がある。

場から新たな問いが生まれ、
場として、全体として、
より深い智慧へと降りていく。

2025年はたくさんの場に参加し、
また、本当に開きたい場を
ひらいた一年だった。
個が集い、場となる。
その一人ひとりの個が、
自分自身の存在の責任を引き受けながら、
勇気をもって、自分の内面に無防備に降りていく。

そうやって自分自身を
場にひらいていくことで
深い響きがおき
個は全体とつながり、
やがて全体が個を内包していく。
人と人が集ったとき、
暴力性が、加速度的に増すことがある一方で、
平和や叡智に、
場ごと導かれていくことがある。

場とは、
目に見えるアウトラインや枠ではない。
それは、
個のあり方、
個の聴き方、
個の表現の集合体だ。
「場に参加する」というとき、
私はどこかを訪れている外部者ではなく
すでに場の一部として、そこに在る。
場だからこそ起きる出来事があり、
場だからこそ言語化できる問いがある。

私はかつて
より優れた者として、
より多くの知恵を身につけ、
より多くを知り、
より深く痛みを癒し、
より静けさを知り、
より力強く場を導く力を持つ者こそが
真のスペースホルダーなのだと、
本気でそう思っていたのだと思う。

いつまで経っても
そうあれない自分は
学びや経験が不足していると感じていたし
より能力を高めるために
努力しているのだ思っていた。
でも、
必要なのは能力ではなかった。
開かれた場に委ねればいいのだ。
場は
個のあり方を評価したり
より優れた個のあり方を
示したりするものではない。

創造的な場とは、
コントロールを手放したその先に
想像を超えた世界が立ち上がってくる
そのプロセスそのものなのだと体験した。
私は、場でありたい。
外部者としてではなく、
場の一部として
全体の一部として
ホールドする存在でありたい。
純粋な私として場にいる時
私は
自分の命を全体の一部として、
生き生きと感じることができるから。

瞬間の喜びや
効力感とはちがう
場だからこそ感じとれる力がある。
それは、本質的な愛とつながり。
自分を脇に置き
全体の良きものを見る力。
個として在りながら、一つであること。
命そのものへの、応援。
2026年のはじまりに、気づきと宣言としてここに置くことにする。



