父との関係
様々な葛藤があり
もうどちらかが死ぬまで
分かり合える日はこないと
怒り
葛藤し
絶望し
諦め
断絶した日々。
こんな風に再び笑いあえる日がくることは
少し前には想像していなかった。
長女が撮った、一枚の写真。
こうして自然に笑っている
私と父さんに心からホッとしてる。
あの時代の日本を生きることは
厳しい家の次男だった父にとっては
本当に苦しかったようで
その悔しさだけをバネに
生き延びてきたのだと
何度も何度も語っていた。
できるだけの力をつけ
物事を達成し
どれだけ強く、かしこく、優れた人間か
世界に価値を証明することが
意味のある人生だと
私は何度も何度も聞いてきた。
実際
すごいパワーと努力で
父は闘い、生き延びてきた。
転んでも転んでも
文字通り歯を食いしばって
諦めない強さを見せ続けることが
父にとって
生きるということだった。
生きている間は
守ってやれる。
父は私によく言ってた。
父さんに任せとけ。
だけど
その父の生き方に感心し
誇らしさを感じる一方で
私は父の価値観に絶望し
怒っていたのだと思う。
いつも支配されているような
息苦しさがあった。
父が持つ二元的な価値を
人生の指標にして
私が生きる日は
きっと、こない。
だけど。
つながるために
「同意」や「合意」をすることは
必要じゃない。
ある人が心からの言葉で教えてくれた。
二元性、戦いの価値観は
父の鎧となり
傷つくことから
父を守り強くしてくれた。
父が生きてきた戦場のような世界で
大切な子どもたちが傷つかずに
なんとか勝ち続け
幸せに生きられるようにするだめには
強固な鎧を
子どもたちに与えることこそが
最善の手段だと信じて疑わなかったんだ。
私が父と、本当のつながりを求めるとき
本当は戦場なんてないんだと
鎧を着ている不合理さを指摘したり
力ずくで
鎧を無理矢理脱がそうとしたり
なんとか鎧を壊せるんじゃないかと
大きな爆弾をしかけてみたりすることに
意味はなかった。
その鎧と武器が
私を傷つけてきたんだ!
ほら
みてみろ!懺悔しろ!
私は私で無意識の戦場を作り
まだ生生しく痛いんだと
古い傷を
父の目の前につきつけるような
私はそんな不器用な
コミュニケーションばかりしてきたんだ。
それは再び、したくもない闘いになり
私たちを何度も傷つけた。
私は私で、私の正義の旗を振り
傷だらけになりながら
何度も何度も
自分で戦場をつくり
自らつっこんでいった。
テロリストのような表現だけど
それ以外の方法を知らなかったから。
目を閉じる
深呼吸
奥底で命が響く
私たちは
ただ親と子で
命はただつながり
繋いでいきたいだけだと聴こえる
ただ
つながりを感じていたいだけなんだ
それは何かを主張し、
何が正しいかを
明らかにすることではなくて
お父さんにとって大切なことを
ただ聴こうとすること
私は
父さんに幸せであってほしいという
私の中にあるシンプルすぎる願いに
つながるだけでよかった。
父さんに、
ふと
「どんな気持ち?」
と聞いたとき
私はそんなこと
今まで聞いたことがなかったこと、
気にしたこともなかったことに気がついた。
父がきょとんとして
空白の時間があって
それから
父の内側をみて
父の言葉で父の気持ちを答えてくれた時
氷がとけていくように
心臓に温かい血液が流れた。