私のブレスワーク体験

2024年11月17日梶ヶ谷セッション

私が私のために呼吸した私のための記録。

そしてブレスワークに導かれている方のために、ブログに残そうと思う。

自分のためだけの呼吸

今、人生における何度目かの転換期。

一旦Pauseする必要を感じて、自分のための時間を意識してとっている。

そんな中、Hiromiさんのブレスワークセッションに参加してきた。

ブレスワークガイドとしてでも、アシスタントとしてでもなく、自分のためだけに呼吸をしに。

いくつかのワークの後セッションで横になり、私は静かに深い深い呼吸を繰り返した。

穏やかな、柔らかい、優しい呼吸。

時々意識を失いながら、呼吸に帰ることを繰り返す。

「今日は何も起こらないのかな。」

そう思いながらゆったりと呼吸をしていると、何がきっかけだったのか、急にスイッチが入り、激しく、強く、早く呼吸が回りはじめる。

身体が熱くなる。

呼吸を続ける。

骨盤を床に打ち付けながら呼吸し、足を踏み鳴らし、手をバタバタさせ、呼吸を回す。

ぐるっと身体を返し四つ這いに。背骨をしならせる。

身体が熱すぎて、服を脱ぎ棄て、ブラトップ一枚になり、とにかく呼吸する。

吸っては吐き、吐いては吸い、音楽に導かれ、自分のコントロールを超えて呼吸がどんどん早くなる。

ハァ ハァ ハァ ハァ….

 

そして急に空白の時間が訪れる。

眉間の内側から広がる白い光。

穏やかさ。

何もない平安。

私の求めてやまない場所。

あぁ、ここだった。ここに還ってきた。

 

 

そして記憶の世界へ。

 

幼い頃の記憶が蘇ってくる。

言葉の世界に入ってすぐのころ、おそらく2歳の終わりか3歳頃だと思う。

父も母も家にいるのに明確に言葉で

「帰りたい」

と思っていた場面。

 

夜布団に横になると、布団が垂直になる。落ちちゃう!!

恐ろしくてギューッと布団につかまっていたこと。

言葉ではまだ説明できないから、助けも求められず、必死に布団につかまるしかなかった。

 

その頃ひどい喘息でしょっちゅう入院していた。

緊急入院した夜、病室の外では小さい子の叫び声がしていて、私は天井を見ている。そして不思議なことに寝ている私を私が天井から見ている。

 

その頃、世界は私と私以外に分かれている様で、途方に暮れていた。

この世界がどういう人の集まりなのか、わたしはどうしてここにいるのか、迷子のような感覚。

呼吸。そしてまた意識が変わる

言葉の世界の住人になった後は、特に3,4年生頃からは「すごい」と言われることが、私がこの世界に含まれることだった。

だから「すごい」がなくなると感じることは、私がこの世界から取り残され、この世界に含まれなくて、途方にくれちゃうんだ。

だから人生で、必死に「すごい」を追い求めていたんだ。

きっと、本当にほしかったのは、父さんや母さんからの「すごい」。

だけど末っ子で病弱で、勉強ができない私がもらえるのは「心配」

「すごい」のは、目標通りに筑駒に行き、東大に行ったお兄ちゃんたち。

私はどんなにがんばっても「すごい」はもらえない。

ここからは、ブレスワークセッション後の統合の時間も含めて感じていること

私が今年、ブレスワークや、ザメンタルモデルによってやっと長年の父との葛藤を許すことができた時、肩や背中に感じていた重さが一気に解放された。

だけど、私の慣れ親しんだ痛みの感覚は、未だに私の身体に残っている。そして呼吸すれば再体験でっきてしまうほど、しぶといものだ。

だけど、もうその痛みに、今の私が翻弄される必要はない。

そしてもう「すごい」になれない怖れや、不安があったとしても、あるがままに、私が叶えたいことを、私が叶えてあげよう。私のために。

 

もう全部やってみよう。

 

そう思ったら、可笑しくて可笑しくて、先まで声を上げて泣いていたのに、今度は声を上げて笑ってた。