私のブレスワークの体験と統合。徒然なるままに。

ブレスワーク 感情

こんにちは。

ブレスワークガイド/助産師もりたもえです。

先日ブレスワークジャパンの数名の仲間が、統合についてのトーキングサークルを開いてくれました。

ブレスワーク

それぞれの人生の統合についてや、ブレスワークの統合について、とりとめもなくみんなで話していたところ、私の記憶にふとよみがえってきたのは数年前のブレスワーク中の体験でした。

純粋な涙を流す

亡くなった兄に、今生もう二度と会うことはなく、その肉体に触れ、言葉を交わすことはない。

呼吸していると、急激に湧き上がってきたその悲しみに圧倒されました。

通常の生活の中で、痛みや悲しみが湧いてきたときには、適当にやり過ごしたり、別のことをしたり、考えたりして気を紛らわせることができます。

けれど、ブレスワークの最中には、その悲しみを抑えることはできません。

というより、感じ切ってほしい感情が、解放を求めて出てくるのかもしれません。

心臓から吹き出してくる様な痛み、悲しみを抑圧することなく声をあげ、数年ぶりにとめどなく涙を流しました。

ブレスワーク

泣いて泣いて、泣き疲れてウトウトしていると、私の肩の近くに兄が現れました。

姿や形が見えたわけではない。

けれど確実に日の光のような温かさとともに、兄の存在を感じました。

その感覚は私の身体に刻まれ、目を閉じれば思い出すことができます。

生まれる前の平和と、そこを去る切なさ

その前日のブレスワークセッションでは、母の子宮なのか、その前の世界なのか、完全な平和調和が保たれたの柔らかな光の世界のなかで、いつかはここを去らなければならない切なさを感じながら、それでも完璧に満たされた感覚を味わっていました。

そしてまた、いつか私の命が終わる時に、ここに還ってくるんだ、ということも知っていた。

ブレスワーク

現実世界とブレスワークが混じりあう一つの統合

この二つのセッションの数日後、なぜ私が助産師になったのか、なぜ命が誕生する場に立ち会わせていただこうと決意したのか、命への純粋な信頼の感覚を思い出しました。

産声をあげたのだから、息を引き取るその日までただ息し続けていくだけでいいんだ。

兄の死をも含んだ、人智を超えた命の流れのなかで、私は、母となり、自分自身の命の力を思い出し、そして誕生に立ち会わせていただくために助産師になりました。

今でも、日々新生児の目をみるたびに、私が神聖な気持ち、全ての命の完璧さを思い出すのも、兄の死があり、絶望を味わい、そしてまた私に還っていく道を歩み始めたからだと思うのです。

 

数年たった今でも目を閉じれば、兄の光の温かさを、生まれる前の完璧な調和を、思い出すことができる。

忘れても離れても、きっと私はこの感覚に戻ってくることができる。

そう信じることは、今生を生きる私のお守りのようなものです。

 

人生は統合の道

人生のすべては統合への道であり、統合が終わることなど今生においてありえません。

ブレスワークセッションは、その統合という人生の道の中のほんの、一部分です。

ブレスワーク

一度のセッションで期待したような結果が得られなくても、すっきり、はっきりした統合までいかなくても、その時はそれでいい。

それでいいのだと思うのです。

ただ、この一息一息を、自分自身のために深く深く感じて、息し、表現するだけでいい。

それが、人生をかけて統合のプロセスを歩んでいくことなのだと思います。

その中で、闇も光も携えたあなたの命と、闇も光も携えた私の命が一瞬だけ交差する今生の出会いがある。

 

そう考えると目眩がしてくるくらいに、ブレスワークは尊い命の時間です。