2025 沖縄1~導きと出逢いと気づきの旅~

【見えない力に導かれ、行くべき場に行くことになり、出逢うべく人と出会う。】

不思議だけど、
その必然性を体験する旅だったと思う。

 

自己探求の旅の中でお互いの痛みに立ち会った
なぎさちゃんに案内してもらって
沖縄の祈り場にご挨拶し、
「どうぞよろしくお願いします」

と祈ると
自分の身体が少しずつ
沖縄になじんでいくのを感じる。

それから、なぜか、懐かしさ。

植物たちは、
個性豊かに主張し合い、
匂い立ち、からみつき合い、
生々しく生きている。

その中に、
またそれぞれの個性を持った
私のいのちと
なぎさちゃんのいのちがある。

あるがままのその命を、全うできますように

ずっと、
祈っているような旅だった。

初日の夜、なぎさちゃんに連れられて、
樋口耕太郎先生のゼミへ。

誘われたとき、
どんな先生かも知らなかったし、
そもそも普通の大学に行ったことがない私は、
「ゼミ」というものが
何なのかもよくわかっていなかった。

本に囲まれた小さな部屋に
20代の学生さんたち、
アーティストの方、
経営者や会社のパートナー、
沖縄で生活する人。

樋口先生の問いかけに、
それぞれが、それぞれの言葉で、
自分を語る。

それを、
ただ、聴きあう場。

別々の世界を生きている。
それぞれの生活がある。
育った歴史、
考えていること、
悩み。

時間がたつにつれて
私の中で
自分のことを話したい気持ちは
だんだんと息をひそめて、

それぞれの人の個性が
私の内側に静かに響いていく。

会が終わるころには、
受け取ったこと、
聴かせてもらったことの豊かさだけが、胸に残っていた。

それぞれが、それぞれの人生を生きていて、
ここで交わっている。

それぞれが、それぞれの世界を生きていて、
ここで呼応し合っている。

会の終わりに、
樋口耕太郎先生と
少し立ち話をした。

20代の学生さんたちが、
本当の意味で「聴かれる」場があることの
その豊かさについて。

上下がなく、
「自分にあることを話していい」と
感じられる信頼、安心のある場。

本当に、充分に聴かれたとき、人は「聴く人」になることができる。

心を傾け、
その人に好奇心を持ち、
そして、その人の命のちからを
信頼する意志を持って。

樋口先生と話しながら、
私はそう聴きたいんだ、と明確さを持つ。

コントロールじゃない。
よりよくしたいわけでもない。
アドバイスしたいわけでもない。
自分の力を見せつけたいわけでも、
ねじ伏せたいわけでも、
だまらせたいわけでもない。

きっといのちの光は

教えようとしなくても
正そうとしなくても


見ようとすれば、聞こうとすれば、

すでにその人の中に在ることに気付くことができる。

そして私は今、
その光が
安心して輝いていられる場として在りたいのだと思う。